10年目のラブレター
私は坂本真綾さんというアーティストが好きです。
ちょっと重たいとは思いつつ、私の人生を語る上で欠かせない。
特に彼女の音楽は染み込んで染み込んで私の一部になっている。
そんなアーティスト坂本真綾が4/24でデビュー25周年を迎えます。
私が彼女を追いかけ始めて10年。
そんなわけで彼女へのラブレターを少しだけ、書いてみました。
彼女を追いかけ始めたのは中学生のとき。
ちょうど15周年記念&30歳バースデーライブ”Gift”が武道館で行われたあたりだった。
それからずっと、人生の中でかけがえない学生時代、少女が女性の入り口に足をかける10年間。
私の人生のそばには彼女の音楽がありました。
どの曲も思い入れがとっても、かなり、すごく、あるが、
私の中でのきらめきをもつ音楽たちをいくつかご紹介し(押し付け)ます。
基本的に私は詞にピントを合わせるタイプです。
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風が吹く日:
世界中に見守られてる そんなふうに思ったり ひとり
世界中に突き放されてる そんな気になったり
そのままでいいんだ:
悲しいコトがあっても
つまさきにおしこめるようにスニーカー きつくむすんだ
中学時代、とってもネガティブだった。
ちょっとだけ世の中を斜に構えて眺めていた。
自分に自信がないのに、プライドはやたら高くて、すぐ泣いていた。
できないことをできないと言えなかったし、そんな自分にも嫌気がさしていた。
自分で持て余してしまってる負の感情の一時置き場をそっとわけてくれたような。
そに置いているうちに取り扱いを自分で探れるような。
言葉たち。
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ユッカ:
誰も一人で死んでゆくけど
一人で生きてゆけない
いつか誰かと僕も愛しあうだろう
私は常々言っています。ユッカは人生。
この曲の「愛」は特定の誰かを想定していないし、特定のイメージも想定していない。
だからこそ私は都合よくこの曲に元気付けられる人全員に向けての「愛」と思えるし、みんなそれぞれ頑張って生きていこうね、と思える。
愛おしさを含まない、カラッとした「愛」が私は時にとても好き。
それはいつでも人生の支えになりうると思うから。
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光あれ:
たくさんのありふれた記憶ひとつひとつに
最初から出会いたい あの日捨てた僕とともに
たった2,3年前のことでも子供すぎたと思うことがある。
振り返りたくないこともあるし、いっそなかったことにしてしまいたいこともある。
それでももう一度自分の人生を歩み直すとしたら、同じ記憶をたどりたいなと思う。
綺麗じゃない部分は、強さを与えてくれる。
迷う勇気は、前に進む勇気。
なぜだか失恋曲に励まされるのと同じ感覚かもしれない。
もしも今この声が誰かに届いてるなら
手を振ってくれないか 無力すぎる僕のために
私は過去の自分にも、未来の自分にも、この曲を愛する同志にも、手を振る。
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恋はつかの間 気まぐれなウィンク
熱くなりすぎちゃ後悔するだけ
煙草が本当に嫌いだった。今も苦手です。
結局一度しか会うことはなかった人に一目惚れしたことがありました。
たった一度なのに心をかき乱されてぼんやりしていた。
大嫌いな煙草の煙も含めてかっこいいと思った。
あれこそこの曲の”恋”だった。恋愛じゃなく。
ぼんやりこの曲を聴き続け、恋じゃなくなる頃に残ったのは、煙草が少し嫌いじゃなくなったことでした。
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僕たちが恋をする理由:
正直に言います。
初めてこの曲を聴いた中学生のときあんまり印象に残らなかった。とばして聴いていました。
5年経つととびきり愛おしい曲になった。
きみの哲学に触れるとき いちばん好きな自分になる
手に入れるものじゃなくて
約束交わすことじゃなくて
それぞれに向かう場所が
似ていたらいいと思う
人として尊敬でき、大好きだなと思える人にめぐりあった。
離れていてもお互いを応援し続けたい。
それからずっと愛おしい曲です。
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ロマーシカ:
楽しい、って思わず言った 君に聞こえてたかな
走る、って久しぶりだな 靴が脱げそうになる
たとえばリンゴが手に落ちるように:
たとえば でたらめな夢見たとき
初雪降ったとき
髪を短くしたとき
飛行船を見つけたとき
最初に教えたい人は誰?
ふいに脳裏に浮かんだ顔は?
弾け飛んだ七色の胸騒ぎ 僕はそれを信じたい
同じような日常を見ている。
その日常ですらこんなにも多角的で、心がきゅっと惹きつけられる。
気づかせてくれる真綾さんの詞が私はとても好きです。
願わくばこの感性に共感してくれる人とともに。
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想像と違ったこと 間違えてわかったこと 戸惑ってばかり
「生きるのが不器用だね」
一定の深さで一定の期間私を見た人に、何度も言われてきた。
戸惑ってばかり。それでも私として頑張ろう。
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プラチナ:
限界のない可能性がここにある この手に
CLEAR:
翼がないなら走ってくわ 行きたいところまで
この2曲に支えられて、導かれて、この先も。
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とびきりの大好きをこめて。
つらつらゆるゆる
何度目かの正直で文章を書き連ねる場所をつくってみました。
書くことは好きだし、小さい頃は得意だと思っていたけれど、
私が得意なのは大人受けする小論文作文であって、数字がつく世界でしか通じなかった。
そして私は読むことも好き。
よって自分の文才の無さに嫌気がさしてしまって、飽き性も手伝って挫折してしまっていたわけです。
ただせっかく一生に一度レベルでの公式ひきこもり月間がやってきたので、えいやっとつくってみました。
エッセイ風味とブログ風味両方書きたいなぁ。
いくつか書き始めて140文字の枠を超えて書くのっていつぶりかしらと思った。
あとひさびさにパソコンを動かしているので大きな画面で見ることも良いですね。
タイピングすることも好き。好きなことばっかりじゃん。なぜ挫折してたの私。
文章を書くぞって意気込んだときの文章は、読み返すと結構いたた…となってしまって耐えきれなかったんですね。
ただ、好きなことをひたすら熱く語ったときの文章は、読み返すと良いこと言うじゃん私…とにまにまして自画自賛したくなります。(Twitterです)
好きなことを好きなように書けばいいわけだー!
小さい頃から本を読むことが好きなので、
気取った文章書きたくなることもあるし、Twitterの延長みたいに日常を残したくなることもある。
つらつら、ゆるゆるいきましょう。
以上をもちまして、決意表明とさせていただきます。
昨日作りすぎてしまった鳥粥をゆっくり食べます。優しくなれそう。
again today
FOURIEARというユニットを結成して5年になる。
もうそんなに!?という気持ちが8割くらいだが、いわゆる青春と呼ばれる日々の端々に二人が思い返されることを思うと2割くらいは確かにそのくらいになるなぁと思う。
FOURIEARとは、アーティストの坂本真綾さんがただただ好きなことでつながった同い年3人のユニット。
好きをお互いに共有したり、好きをいっしょに表現したり、ゆったり活動しています。
5周年を記念して(後付けだけど)、2月にライブをやった。
初めて3人で一からプロデュースして、たくさんの想いをつめこんで、たくさんの準備をしたライブ。
先日その日の音源を聴きました。
ライブ直後も想いを込めたひとときをつくりだせた感触があったし、本当にすべての出会いに感謝の気持ちでいっぱいだった。
(勢いそのままに当時の感想はTumblrに残してます。)
でも音源を聴いて、ゆっくりとふりかえって、あらためて本当にかけがえのない時間だったなと思った。
なんだか小さい頃好きだった蒸し立ての蒸しパンをほおばってる気持ち。それか牛乳を半分くらいいれたミルクコーヒー。あったかくて優しくて幸福感。
好きな曲、気持ちにしっくり寄り添った歌詞、セッションの響き、お客さんの柔らかな空気、愛おしさ、心地よさ、いっぱいの楽しさ、一瞬の儚さ。
どれが欠けても成り立たなかったあの空間が大好きでした。
“for you”ステージの最後に歌った曲の歌詞が本当にぴったりだなと思う。
何度目か、というくらい言っています。
普段はそれぞれの人生を生きていて、FOURIEARが頭の中から消えてしまっているときもある。活動に乗り気じゃないときもたぶんそれぞれにある。
でもいつもすぐそばにいるような気がするし、手を振るとすぐに応えてくれる。
私たちを結びつけた真綾さんみたいに帰る場所のひとつじゃない?
いつも全力ではないし、まっすぐでもない。でも雑さがない。
人生は音楽だなと最近より思います。音楽をすること、じゃなくて、音楽。
Spending the whole day with you
それは今日もまた同じ。できれば音楽とあなたとともに。
ライブをふりかえったいまの想いとFOURIEARへのお手紙と日々への宣言でした。